ストレスを作らない
自分に嘘をついている「悪い」自分がいることをふと、目の隅で確認しては、ストレスを自らせっせこと作ってきた。少々、駄目だなコイツと思う自分、間違いをおかした自分は確かにいるけれど、自分の中だけで絶対的に「悪い」と決めつけられる自分はいないのではないかと思う。
今日会った友人は、「ストレスをためることが嫌いなんです」と話してくれた。
確かに、外部から不条理に与えられるストレスもあるけれど、ストレスは自分でコントロールできるものだと感じた。よくも悪くも自分でコントロールしている部分があるのだとふと気づいた。
過去に、自分を大事にすることが大切であると友人や知人から助言をうけて来たけれど、そうしたくても、イマイチ実感がわかずその言葉は宙に浮かんだ状態だった。明確ではないけれど、自分を大事にすることは、私にとっては他者承認や社会とのつながりの中で長期的に育まれるものだと思っているからだろう。そういうものを頭の中で考え込んでも楽にはなれない。
とりあえず、2つのことを実践することにした。
①整骨院に行く
②内科で漢方を処方してもらう
心身ともに、健康状態は悪くはないので、時間を見つけていってみようと思う。
「怖い」とのつきあい
文章を書くことは、とても怖いことだ。
外の世界に裸の自分を放り出すのと同じくらい怖い。
向こう見ずで、自信家の私が、何よりも大好きなことが、文章を書くことだった。
それなのに、今は言葉をうまく組み立てることができない。違和感がある。
感情を表に出すということを考えた時、どんな感じがするのか?
それに対する答えは、とても怖いという本能に近い何かだった。
文章を書くことはどんなに注意を払っていても、感情がにじみ出てしまうものだと思う。だから、とても怖い。
自分の人生はとても怖いものに囲まれているような感覚に襲われることがある。
だからきっと、怖い世界に私はいるのだと思う。そして、同時に、その恐怖や恐れは防衛本能なのだと感じている。
自分と世界、私と他人、子供と大人。ずっと悩んできた多くの物事は、明確な答えや切り開かれた明るいものとしてダイレクトに何かを与えてくれるような結果にはならなかった。でも、確かに今まで生きてきてよかったと思えるいろいろな出会いがあった。生きていて、よかった。
今、とても、元気がない。元気になるために、「怖い」とのつきあい方をちゃんと考えてみたいと思う。